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歴史ファン必見!NHKのタイムスクープハンターが面白い
みなさん、NHKの「タイムスクープハンター」という番組をご存知ですか?
NHK・総合で毎週月曜日の22時55分から約30分放送されているのですが、
現在放映されているものは2ndシーズン。
トライアル番組や特番が非常に好評だった為、続編が制作されたようです。
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では、一体どんな内容の番組なのかと言うと、未来に存在するタイムスクープ社が、
タイムスクープ技術を用いてあらゆる時代にジャーナリストを派遣。
その時代に生きる人々の営みを映像で記録しアーカイブを作成すると言う番組です。
ジャーナリストを派遣するといっても、毎回派遣されるのは、ジャーナリストの沢嶋雄一(俳優の要潤さん)。
設定では、ジャーナリスト・沢嶋雄一は第二調査部という
歴史の教科書には載らないような対象を追いかける部署に所属し、
歴史の中に埋れてしまった人々の真実の営みを調査する使命を帯びています。
(ちなみに、第一調査部は、教科書に載っているような大事件や人物を取材するようです。)
調査する対象は一回の放送につき一つのトピック。
沢嶋雄一は、その調査対象の中心となる人物や場所に密着し、
様々な事件の中に自ら飛び込んで行き、体当たり取材を敢行します。
例えば、2009年の年末に放送された
「タイムスクープハンタースペシャル 幕末決死行! 江戸牢獄・限界長屋の実態」では、
江戸の長屋・牢獄の取材にのめり込み過ぎた沢嶋雄一が自身も投獄されるという、
非常に危険なめにも遭っています。
しかし、それが逆に、当時、理由もなく捕まる人が多かった事(冤罪の多発)や、
裁判を行う奉行所がいかに様々な癒着や問題を抱えていたのかを鮮明にあぶり出す事にも繋がりました。
タイムスクープハンターは、このように当時の暮らしの中にある物事の真実を、
いかに一般人の視点で描くかという事に重点が置かれているのだと思います。
過去の放送まとめ
セカンドステージでも第一話の放送は終了していますが、下ではセカンドステージ以前に放映されたものをまとめてみました。(参照:タイムスクープハンター – Wikipedia)
タイトル:「お氷様はかくして運ばれた」 対象:「江戸時代の加賀藩の大名飛脚 」
タイトル:「忍者”その真の姿とは」 対象:「戦国時代の忍者」
タイトル:「江戸同心24時 対象:「江戸時代の江戸町奉行所同心 」
タイトル:「戦国救急救命士 対象:「戦国時代の医僧(戦場で医療活動を行う僧) 」
タイトル:「落武者脱出行 対象:「戦国時代の落ち武者 」
タイトル:「リストラ武士の奮戦記 対象:「明治時代の秩禄処分後の士族」
第7回 2009年5月13日 沸騰!闘茶バブル 対象:「室町時代の利き茶で賭けごとを行う武士 」
タイトル:「女たちの関所越え 対象:「江戸時代 の伊勢参りの旅をする女性 」
タイトル:「幕末決死行!-江戸牢獄・限界長屋の実態-」 対象:「幕末江戸・伝馬町牢屋敷での取り調べ実態と、窮民達の打ちこわし」
歴史好きの私にとっては放送タイトルを見るだけでワクワクしてしまいます。
今までにはあまりないタイプの歴史番組ですね。
タイムスクープハンターの見所
タイムスクープハンターの見所はやはり、歴史のマイナーな部分に焦点をあてている事。
従来の歴史番組と言うのは、戦国時代の大大名や幕末の有名人、公家や名士といった、
歴史の教科書に出てくるような人物にスポットがあてられていました。
また、事柄に関しても、歴史に大きな影響を与えた事件や出来事のみに焦点をあて、
日々の暮らしの中にあった些細な問題点に目を向けられる事は殆どありませんでした。
しかし、このタイムスクープハンターは、常に一般庶民の目線に立って様々な問題を紹介してくれる。
そこがまず見所の一つだと思います。
二点目は、カメラワーク。
ドラマの中では、常に主人公である沢嶋雄一の視点で映像が撮影されています。
と言うのも、設定上、沢嶋雄一のみがその時代に潜入し、
自分で撮影をしているという事になっているのでそのようなカメラワークになるのでしょうが、
これが実に臨場感があってドラマの中に引き込まれてしまいます。
沢嶋雄一も未来から来た人物(我々よりも未来人)、そして私達も同じく未来人。
なので、沢嶋雄一の視点から物事を見ることで、過去に起こった出来事に対しての感情移入がしやすくなり、
知らず知らずに引きつけられるんでしょうね。
本当に面白いドラマだと思います。
最後に
このドラマのホームページも見てみましたが、かなりハイテクなイメージに仕上がっていて凄く面白かったです。
番組についての基礎情報や、主人公についての予備知識、さらには撮影に関する番組ブログなど、
ドラマを見るにあたって持っておいた方が楽しめる予備知識がたくさん紹介されていました。
是非一度ご覧になってください。ホームページへは下からどうぞ。
■ タイムスクープハンター
また、タイムスクープハンターの制作スタッフブログも公開されていますので、覗いてみて下さい。
裏話などが書かれていて面白いですよ。
■ EYESブログ:NHKブログ | タイムスクープハンター
最後に、YOUTUBEにもタイムスクープハンターの短い映像が幾つかありました。
興味のある方は少し覗いてみて下さい。
■ YouTube – タイムスクープハンター
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幕末・明治の貴重な着物画像まとめ
ほんの1世紀ほど前まで、日本人のほとんどが毎日着用していただろう着物。
今では、成人式や結婚式、卒業式など特別な日に着用するものとして認識されている方が多いと思います。
私は個人的に着物が好きで、いつか毎日着物を着てすごしたいと夢見る学生時代でした。
今現在、着物生活を楽しむ日々ですが、日常で普通に着られていた時代の古い着物や布たちに魅力を感じ、居ても立ってもいられないような興奮を覚えます(笑
ということで、今回は個人的に大好きな、日常的に着られていた時代の貴重な着物写真をまとめてみました。
幕末の日常
1862-1864年の間に撮られたとされている一枚。カメラマンは不明ですが、幕末から大正にかけて活躍した写真家の下岡蓮杖ではないかと言われています。
ちょうど、今放送されている大河ドラマ「龍馬伝」の時代ですねー
つけられたタイトルは”BAKUMATSU BALLYHOO — Hamming It Up for the Camera Man On the Streets of Old Japan”
「幕末の馬鹿騒ぎ!カメラにむかって大はしゃぎの面々」といった感じでしょうか。
子供に碁を教える幕末のお父さん
下岡蓮杖による写真。
このように、歯がみえるほど笑っている人物が映った写真はこれが日本初ではないか?と言われているそうです。
子供が着ている着物の素材は木綿でしょうか。手にとってスリスリしたい!
こういった日本の日常的な生活の写真は、海外で土産物として販売されることが多かったようですが、この写真は「母と子」のような扱いで売られていたそうな^^;
明治・着物を選ぶ女性
身震いするほど美しい反物が所狭しと並べられています。
「あら、これもいいわねぇ。。。」「勉強させてもらいますよ~」なんて会話が聞こえてきそう。
もし私がこの場にいたら、物欲を抑える自信がありません。破産しそう。
1895-1905頃に撮られた写真。カメラマンは神戸のT.Takagi(takagi teijiro)
明治・着物を選ぶ女性2
こちらも着物を選ぶ二人の女性。上の画像よりも20年ほど前、1870年代の写真です。
着物を選ぶ左側の女性の羽織は紋付?右側の女性の前掛けは木綿で少し裾がほつれているのが見えます。ふたりとも黒繻子の掛衿付き。
さっきの写真よりも庶民的な感じがするのは、時代のせいなのか、もしくは先程の写真のお店が高級店だったのか?
想像が膨らみます。
明治・帯と日本髪
1880-1890頃に撮られた写真。一人一人の髪型、微妙に違います。
SHOW ME THE OBI ! + THE SEVEN LUCKY HAIRSTYLES of OLD JAPAN (日本髪) のコメント欄によると、一番左の方の髪型は不明・二番目から結綿・ 菊重ね・花月・銀杏返し・勝山・丸髷・高島田 だそうです。
明治・アイロンをかける女性
羽織に炭火アイロンをかける女性。
炭火アイロンは明治時代に広く普及したとの事なので、明治時代頃だと思いますがもしかしたらもう少し後の写真かもしれません。
後ほど色を付けられてたものでしょうが、左側の女性の着物の鮮やかさと半襟・八掛の色のマッチングがおしゃれ
明治・羽織を縫う女性
説明文によると、羽織を縫い直しているという縞の着物の女性。
針に糸を通しているシーンでしょうか?
よく見ると、右手の中指には指ぬきが、左手の薬指には指輪が光っています。
明治~大正 鏡の前で帯を直す
鏡の前で、帯を直す女性。クロス巻いた帯は、当時の流行だったのでしょうか?
足元には「レートフード」と書いてある瓶と箱が見えます。
◆NCM-化粧品・日用品・流通によると、レートフードとは大正に発売された乳液のようです。
パート2に続く(近日公開)
秀吉と迦陵頻迦の珍問答
みなさん、迦陵頻迦(がりょうびんが)って何かご存じですか?
広辞苑によると、「仏教で雪山または極楽にいるという想像上の鳥。妙な鳴き声を持つとされることから、仏の音声の形容ともする。その像は、人頭・鳥身の姿で表わすことが多い。」となっています。
少し説明が堅くて分かりにくいですが、簡単に言うと「上半身が人、下半身が鳥の極楽に住む想像上の生き物。」
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見た目は、こんな感じになります。
画像:File:Amidakyohenso Karyobinga.jpg – Wikimedia Commons
なぜ急に迦陵頻迦について書く気になったのかというと、最近、また山岡荘八氏の「豊臣秀吉」を読み直してまして、
その中で迦陵頻迦についての面白い問答があったので、急遽、紹介したいと思いました。
話の流れ
それでは、まず話の流れから。
藤吉郎(秀吉)の活躍により稲葉山城を落とし、斎藤家を滅ぼした信長は、次に伊勢志摩の大名である北畠氏の攻略にかかった。その伊勢攻略の先方として、滝川一益を北伊勢に送り込んでいたが、いざ戦闘を始めてみると相手の抵抗が並大抵モノではなく、特に、高岡城を守る豪将・山路将監にはかなりの手を焼いていた。そこで信長は、滝川一益を援護させるために藤吉郎を北伊勢に送りこみ、事態の打開にかからせた。
北伊勢についた藤吉郎は、滝川一益から手柄をもぎ取り、出世を独り占めするために単独行動を行う。しかし、敵は豪将・山路将監。真正面から行って城を抜くのは非常に困難だった。そこで藤吉郎は、城を力で攻め落とす事から、相手を降伏させる事に作戦を変更。山路将監に直接会って和議という形の降伏を勧める事にした。(勿論、その前には、城と領民ゲリラの間にくさびを打って城を孤立させたりしている)
そして、藤吉郎はお気に入りの馬の口取り・原田三郎左衛門に馬を曳かせて、高岡城の城門に向かった。
その城へ向かう間の会話がこの迦陵頻迦の珍問答の始まり。
ガリョウビンガの珍問答
会話は、藤吉郎が馬の口取り・原田三郎左衛門と城に向かう場面からスタート。
藤:「三郎左、その方は山路将監が降参すると思うかどうじゃ?」
原:「そりゃ、こっちの贈り物次第だと思います。」
藤:「フーン、何を送ればよいと思うぞ」
原:「ガリョウビンガはどうでしょう?」
藤:「ガリョウビンガ・・・、それは何の事だ」
原:「わたしもまだ見たことがありません。しかしなかなかよいものらしゅうござります」
藤:「それは、どこにあるのだ。南蛮人でも持ってきたのか」
原:「うんにゃ、それは極楽浄土にある。できればわしも一つ欲しい」
ガリョウビンガの話をしている原田三郎左衛門もガリョウビンガが何か分かっていない。
なので、この段階で藤吉郎がガリョウビンガについて分かるはずもなく話はどんどん進んで行く。
そして、色んな抵抗や押し問答があった挙句、なんとか藤吉郎は城に入り込み山路将監との体面となった。
藤吉郎と山路将監
藤:「ハッハッハッ・・・いや、やはり山路どのは凡将ではござらぬて。ご城内の備えぶりことごとくわれらの気に入ってござる。まだあれに兵粮もたくさんござるようじゃの」
山:「追従はたくさんじゃ、床几はそこにござる。掛られたら、早速用向きを承ろう。」
藤:「これはかたじけない。では、率直に申し上げよう。この城、いつ、われらにお引渡し下さるや。それを承りに参ってござる」
山:「ワッハッハ・・・、ではわれらの方からお問申そう。木下どのとやら、貴公いったい、この城を何日かかって落として下さるや」
藤:「な、なんだと」
山:「貴公が落としてくれたその日に、われらはこの城をたしかに明渡そう。すべて貴公次第だと心得さっしゃるがよい」
藤:「なるほど、これは明快なご返事じゃ。では早速あれなるやぐらの上に、この旗をお立て願おうか」
山:「では確かにその日まで預りおこう」
こんな幼稚な問答があり、会談は完全にもの別れの様相。
このまま帰る訳にもいかない藤吉郎は、急に突拍子も無い事を言い始める。
藤:「いよいよもって面白い。これでわれらも話甲斐があるというものだ」
山:「くどい!次の用向きを申さっしゃい」
藤:「おう、申さいでか。北畠大納言卿は聞きしにまさるガリョウビンガじゃ」
山:「な、なんだと、何と云われたのじゃ」
藤:「聞きしにまさるガリョウビンガだと申したのだ」
山:「ガリョウビンガ・・・・・?とは何の事だ」
勿論、藤吉郎はガリョウビンガを全く理解していない。
これは一発逆転を狙ったというか、完全に開き直った藤吉郎の知ったかぶり。
藤:「これはしたり、伊勢の国司北畠家にその人ありと知られた山路弾正どのほどのご仁が、ガリョウビンガをご存知ないと申されるか。そのようなことはわれらが馬の口取りまで、絶えず口にいたしている事でござるぞ」
馬の口取りとは先程ガリョウビンガの話をした、原田三郎左衛門。原田が知っていたから、国中の全員が知っていると大ボラを吹いている。それにしても「聞きしにまさるガリョウビンガ」とはおもしろい。
山:「なに、ガ・・・・ガ・・・・ガリョウ、なんと申された」
藤:「ガ、リョウ、ビ、ン、ガ、でござる」
山:「フーム」
藤:「おわかりなされたか。このような極楽の通り言葉を知らないでは相済ますまい」
山:「ああ、それならば相分かった」
藤:「なに、わかられたと!?」
山:「いかにも、相わかった。そのような言葉なら極楽では屁でもないことじゃ」
藤:「ふーん、極楽の屁と申されたな」
山:「いかにも申した。ところで木下どの、われらの主人大納言卿を、貴公よくも屁にたとえられたな。さ、われらの主人が、如何なる理由によってガリョウビンガか、その趣旨を承ろう」
この段階でガリョウビンガは完全に「極楽の屁」になってしまった。しかし、ガリョウビンガが屁であろうと鳥であろうとそれを知らない藤吉郎は、ここでは知っているといった人間の意見に乗っていく以外に道はない。勿論、極楽の屁であるはずはなく、これのことである。ガリョウビンガ→→→
藤:「おおおお申さいでか。よいかの山路どの、屁は屁でも極楽の屁じゃ。これを以て礼を失したと受け取るは貴殿の無学さじゃ」
山:「なるほど、極楽の屁でござるなあ」
藤:「そうじゃ、極楽では屁もまた香り高くして美しい音色のもと思わっしゃい」
山:「ふーむ、そ、それは、そうじゃ。そのはずじゃ」
藤:「ところが、やはり屁は屁じゃ。いかに美しい音色であっても実はない。そもそも北畠家とは、この伊勢にあっていかなる家柄か考えてみられるがよい」
山:「それは、申されるまでもない。南朝の大忠臣、北畠親房卿が大神宮のご神徳とともに、この地にご仁政を残されて・・・・・」
藤:「それそれ、それがガリョウビンガじゃ」
山:「ガリョウビンガであろうかの」
もうここまで来るとガリョウビンガは屁でもない。この段階では何になっているのかは不明だが、最後にはガリョウビンガが何なのかボヤッと見えてくる。
藤:「ガリョウビンガでなくてどうするものじゃ。つまり代々、大神宮の神威を蒙って、民百姓の安泰を祈られる。その北畠家が、何ゆえ織田尾張守信長の、勅命を蒙って乱世を終わらせようとする勤王の大事業の前に立ちふさがって邪魔をなさるのじゃ。・・・・中略・・・・・真っ先に織田と握手して天下泰平のために働かねば済まぬはずの北畠家が、いまだに勤王のさまたげをするとは全くもって祖先と家柄を忘れ果てたガリョウビンガとは、お気づきなさらぬか」
山:「フーム」
藤:「よろしゅうござるかの。われらが主人織田信長の許へは、尾張にあるうちからたびたび勅使ご下向の事があったのでござるぞ。・・・・・・中略・・・・・・だいいち信長公は、年々伊勢大神宮にも寄進をかかさず、熱田の宮へもできるかぎりの保護を加え・・・・」
山:「相わかった!なるほどこれはガリョウビンガでござった」
藤:「おわかり下されたか山路どの」
山:「天朝の事を忘れて戦う・・・・と、云われては、なるほど大納言さまの泣きどころじゃ。北畠家は、そのような事があってはならぬお家柄じゃ」
藤:「お分かり下されてか山路どの」
山:「山路弾正も男でござる。ここはいちばん、大納言さまとご相談申すというたそう」
藤:「それを承って、われらも単身やって参った甲斐がござった。この通りじゃ山路どの」
山:「いやいや、たしかにガリョウビンガでござった。音ばかりではクソの役にも立ち申さぬ」
最終的に二人の間でガリョウビンガは、「無用の長物」のような意味になっています。いくら極楽で良い音を出す屁であっても、それを下界で聞けなければ無意味。北畠家も勤王という大義がありながら、同じ勤王の志を持つ信長に協力しないのであれば無用の長物だと言う事。これは私の推測の範疇を超えないが恐らくそんな感じの意味でしょう。
最後に
このガリョウビンガのくだりは、
お互いに知ったかぶりをしながら、知らない言葉を使い続けて、
いつも間にかその言葉を間違ったはいるが、同じ意味として共有し話の合意に至る、
という凄く面白い話。
またその題材が、藤吉郎こと秀吉だったの言うのも面白さを倍増させています。
みなさんも知ったかぶりをする事がありますか?
知ったかぶりをしてこのようにうまく行く事はまずありません。
このガリョウビンガも家に帰って調べてみれば、お互いに知ったかぶりだった事は一目瞭然。
はずかしい思いをするのは自分なので、知ったかぶりには注意しましょう。
ちなみに、このガリョウビンガのお話は、ここで終了するのではなく、家に帰った後の寧々や竹中半兵衛とのやりとりもありますので、是非この山岡氏の豊臣秀吉を読んでみて下さい。
15分で漬物が出来た!「たたきキュウリの生姜風味漬け」を作ってみた
NHKの今日の料理を参考に、キュウリの即席漬物を作ってみました。
「漬物なんて時間がかかって面倒!」と思われている方も多いかもしれませんが、
大袈裟ではなくたった15分で出来ました。
時間の割に味もしっかり付いていて、本当に美味しかったです。
それでは、まずは材料から。
材料 (4人分)
キュウリ → 3本
漬け汁
おろししょうが → 大さじ1
酢 → 大さじ1/2
醤油 → 大さじ3
砂糖 → 小さじ1/2
ごま油 → 大さじ1/2
※漬け汁は、別皿に作ってよくかき混ぜておいてください。
手順
キュウリを食べやすい大きさにカット
①キュウリを棒で叩く
まずは、キュウリが飛び散らないように、
ビニール袋に入れて棒状のようなモノで叩きます。
叩き過ぎると、粉々になっちゃうので程々にして下さいね。
②キュウリを程良い大きさに切る。
次に次に、その叩いたキュウリを袋から取り出し、
食べやすい大きさ(5cm程度)に切っていきます。
大体、長さも厚みも全体の1/4程度がちょうど良い大きさだと思われます。
③ボールに移す。
全て切り終われば、ボールに入れて下ごしらえは終了。
次に、漬け汁つくりに入ります。
漬け汁を作る
④生姜を摩り下ろす。
まずは、生姜を摩り下ろします。
必要な量は大さじ一杯分ですので、
無駄におろし過ぎないよう注意して下さい。
(私は多く磨りすぎて少し余らせてしまいました・・・。)
後、もしかすると、少し荒い位の生姜の磨り方の方が
風味が出て美味しいかもしれません。
⑤調味料を加える。
続いて、摩り下ろした生姜に、酢→大さじ1/2、醤油→大さじ3、砂糖→小さじ1/2(今回は黒砂糖を使用)、ごま油→大さじ1/2を加えて、よくかき混ぜます。ここでしっかりとかき混ぜておかないと、砂糖が残って妙に甘い部分があったりますので入念に。
⑥キュウリに漬け汁を合わせる。
そして、しっかりと混ざった所で、ボールに用意しているキュウリに漬け汁をかけます。
⑦おもしを乗せる。
最後に、上からおもしを乗せて約五分放置。
⑧盛り付け。
それを、お皿に盛りつけると、たたきキュウリの生姜風味付けの完成です!
歴史読本3月号の「戦国武将・伊達政宗の二十四時間」が非常に面白かった
私の愛読書でもある、新人物往来社発行の「歴史読本」。
この月刊誌には、歴史好きにはたまらない情報が多数掲載されている。
例えば、ある月の特集では、日本に実在した“城”を幾つかの基準カテゴリーを設けて、都道府県別にランク付けしてみたり、またある月では、日本に伝わる”神話”の謎や疑問点ついて、海外やアイヌの神話と比較しながら徹底的に分析してみたりと、掲載されている情報がいちいち歴史ファンの心を鷲掴みにしてくるものばかり。
今回は、そんな歴史読本の3月号に掲載されていた、仙台郷土研究会の常任理事・渡邊洋一氏が書いた
「戦国武将・伊達政宗の二十四時間」という、とても興味深い記事の一部を紹介します。
この3月号は「戦国武将の美学」というサブタイトルになっていて、
今回紹介する政宗の話以外にも、島津義弘や毛利元就、黒田官兵衛や上杉景勝など、
戦国時代を代表する猛将のエピソードが多数掲載されています。
かなり面白いので、興味のある方は、是非一読してみて下さい。
(Photo : 伊達政宗像 on Flickr)
戦国武将・伊達政宗の印象
政宗といえば、「派手好きで豪快で」というイメージが浸透していると思われます。
これは、渡邊氏の話によると、
葛西・大崎一揆の煽動疑惑で秀吉に召喚された時に、
自虐的に金箔の磔柱を持参し、白装束で都大路を往来したり、
また、朝鮮出兵の際に、ド派手な衣装を軍勢にまとわせ
京の都をパレードしたという行為が、都人の度肝を抜き、
派手で豪快というイメージになったようです。
それらが、伊達者という言葉の語源になり、現在のイメージにも繋がっているようです。
また、政宗の霊廟(れいびょう)である瑞鳳殿から、南蛮装飾のされた金のブローチや、
過剰装飾の煙管(きせる)、さらにはこの時代には珍しい鉛筆などの文房具が出土している事も
政宗の「派手好きや贅沢な暮らしぶり」のイメージに繋がっている、と渡邊氏は話しています。
出土品の画像は、こちらのサイトで確認して下さい。(瑞鳳殿 -インターネット資料館-)
Photo:伊達家墓所 瑞鳳殿 on Flickr
イメージとは違う政宗の24時間
では、実際の政宗の日常はどうだったのかというと、上の印象とは少し違い、
非常に真面目で自分への規律を重んじる実直なものいう風に私は感じました。
渡邊氏によると、政宗の日常に関しての記述は、徳川幕府が成立してからのものがほとんどのようなんですが、
今回、渡邊氏が紹介してくれたものは、家臣である剛将・伊達成実が晩年に残した「政宗記」の中に記された、
戦国時代の可能性がある政宗の日常について。
江戸期の可能性も否定出来ないようですが、他の記述よりは戦国期の可能性があるのかもしれません。
「政宗記」の中で戦国武将・伊達政宗の日常は以下のように記されているようです。
午前6時 起床
目覚めるとそのまま、寝床の上で髪を束ね、手水(手洗い・便所)に立つ。その間に奥小姓に唐皮を敷かせたり、蝋燭を付けさせたりと、煙草の準備を整えさえ、手水から戻り次第、一服。その煙草も日によって、朝は三服、昼は五服などと前もって吸う量を決めていて、それに沿って行動していたようです。
午前7時頃~9時頃 閑所・行水・髪結い
煙草の一服の後、政宗は閑所と呼ばれる別室に2時間ほど籠り、その日のスケジュールの確認や、書状のしたため、部下に与える指示事項の練り上げなど、その日の実務に必要な準備を行うようです。ここでは、朝食の献立も政宗自身で確認するようですよ。
閑所での雑務が終了すれば、水屋に行って行水。陣中でもどんなに寒い日でも絶対に欠かさず行うようです。それが終われば着替て、奥の居間に出て小姓に髪結いをさせながら、御機嫌伺いに来た家臣たちに政務の指示を与えるという流れです。(Photo: 仙台城脇櫓 on Flickr)
午前9時頃~11時頃 朝食
起床から約3時間、やっとここで朝食になります。この頃は、一日二食というのが一般的だったので、あまり早い時間に食事をすると後半にお腹が空いてしまう。したがって、この時間帯の朝食が一般的だったと思われます。
政宗の朝食は一人で取るのではなくて、表で指名した家来衆数人に相伴させながら取ったようです。朝食では、大名である政宗も家来衆全員に食事が行き届くのをしっかりと待って、みんなの文が揃い次第、膝を正して座り直し、箸を付ける。政宗が箸を付けたのを確認した後、家来衆も食事を始めるといった形のようです。
朝食後は、そのまま家臣たちと、お茶やお菓子を摘みながら談笑し、一服、手水という流れになる。
午前11時頃~午後2時頃 政務・決済
城表で政務を取ったり、次々に登場する家臣達が持って来る案件に対して決済を出したりと様々な仕事をこなして行く形になります。そして、こういった政務を大体、午後2時頃まで続けます。
午後2時頃~午後3時頃 おやつ・一服
上でも少し書きましたが、昼ご飯を食べる習慣がないので、どうしても夕食までに小腹が空きます。したがって、この時間帯にお菓子などを食すことが習慣化されていたようです。公務はこのおやつタイムを目処に終了という感じですね。
ここまでが城表での作業になり、その後、奥に戻って大好きな一服をして、再び閑所に籠るという流れになります。
午後3時頃~午後5時頃 閑所・行水
奥に戻ると政宗は再び、二時間ほど閑所に籠ります。これは、その日の政務のチェックや翌日の予定の確認・準備などを行うためで、色んな軍事的な作戦もこの午前と午後の閑所で練られていたものと考えます。
この午後の閑所では夕食の献立もチェックするようで、それらが済んだ後、水屋におもむき、行水という流れになります。
午後5時頃~午後7時頃 夕食
夕食は奥で相伴の家来衆数人と共に取るようです。奥で夕食を取るのは、表よりもより、リラックスが出来るためと渡邊氏は推測しています。食事が終われば、お茶を飲み少し歓談をして一服。そして就寝へと流れて行きます。夕食後にまた、閑所に籠ることもあるようです。
午後8時頃 就寝
平時で夕食後に閑所に籠らなければ、ここで就寝という形になります。
政宗の日常生活から考えた事
やっぱり戦国を生き抜いた人間は、緻密で自分に対しても非常に厳しいという印象。
政宗の24時間を見ていると、行動の一つ一つに自ら規律を課して、
それをしっかりと順守していたという感じを強く受けました。
上では書きませんでしたが、
政宗は病気になっても他人に寝ている姿を一切見せなかったというエピソードがあります。
これも、政宗が自分に課した規律の一つで、その辺りからも政宗の自分に対する厳しさが伺えます。
どんな時でも行水を欠かさなかったり、煙草の量を決められたとおりに制限したりと、
本当に戦国時代を生き抜いた人というのは、精神的にタフだと感じました。
もうひとつ、午前と午後に閑所に籠って先々への準備を怠っていなかったという所にも感銘を受けました。
政宗の戦術は、軍事的にも政治的にも常に相手の意表をつくもの非常に多い。
(例えば、上で書いたような一揆の煽動などは、相手の意表を着く、軍事的には素晴らしい作戦。)
なので、どうしても小説などでは政宗の天才ぶりが先行して、
常にその場の機転で何でも決めているという印象が非常に強いです。
しかし、こういった閑所に籠ってじっくり準備するという習慣があると分かると、
やっぱり厳しい戦国時代を生き抜くためには、その場の機転も必要なのでしょうが、
このような徹底した準備と反省が必要なんだと強く感じました。
政宗は後20年早く生まれていれば、天下を狙えたかもしれないと言われています。
事実、秀吉が関東に進出して来るまで、政宗はすさまじい勢いで東北地方の自領を増やしていました。
しかし、政宗が東北地方で力を持ち始めてきた頃には、もう中央での秀吉の天下はほぼ定まっていて、
政宗の入り込む隙はありませんでした。
私は、政宗は戦国大名の中でも、織田信長と並ぶ鬼才の持ち主だと思います。
しかし、信長とは違ってその鬼才を十分に発揮出来ぬまま戦国時代が終わってしまったという印象です。
今回、この歴史読本3月号で、こういった政宗の特集を読めた事を本当に嬉しく思います。
また、こんな貴重な情報を紹介してくださった渡邊洋一氏にも心から感謝致します。
貴重な情報有難うございました。
記事ソース:新人物往来社 歴史読本 3月号 P174~178
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第3回桜の開花予想を日本気象協会が発表~東京は3/21頃、大阪は3/25頃
もうすぐ待ちに待ったお花見シーズン。
公然と野外で飲んで、はしゃいで、自然を満喫出来る季節。
お花見という言葉を耳にするだけで、なぜか普段よりも気持ちが高揚してしまいます。
色鮮やかな白やピンクが脳内に飛び込んでくるからでしょうかね・・・?
沖縄のお花見シーズンは、1月の下旬から2月の中旬にかけて。
基地移設問題で話題になっている名護市が日本一速い桜祭りと称して、
一月の下旬に「名護さくら祭り」を開催しているのでも有名です。
なので、沖縄ではすでに桜は散っているのですが、本土の桜はこれからが本番!
今年は、例年よりも開花時期が早まるのではと予想されているのですが・・・、さて、いつ頃になるのでしょう。
下の画像は、日本気象協会が3月3日に発表した桜の開花予想。
今回の予想では、東京都心の桜の開花は、3/21頃、満開になるのは3/29頃で、
平年よりも一週間程早いようです。
また、大阪では3/25頃の開花、4/2頃の満開と、
こちらも4日ほど平年よりも早いようです。
全体的には、西日本と東日本では平年よりも早め、もしくはかなり早めの開花・満開になり、
北日本では平年並みか少し早くなる見込みのようですね。
ただ、桜の開花予想は、天候の変化によって、しょっちゅう変動する事で有名ですので
下のサイトで、随時、開花予想を確認するようにして下さいね。
■ 日本気象協会 tenki.jp